認知症の「もの盗られ妄想」はなぜ起こる? ――「財布を盗んだ」と責められた家族が知っておきたい対応の基本 

はじめに

「お金を盗ったでしょう」
「財布を隠したのはあなたでしょ」

大切な親から突然こんな風に疑われてしまったら、
驚き、悲しみ、そして「こんなに頑張って介護しているのに」という怒りがこみ上げてきたとしても
それは当然のことです。

いくら相手が認知症だとわかっていても、
泥棒扱いされることで心が深く傷つき、すり減ってしまう方は少なくありません。

しかし、ここでどうか知っておいていただきたいことがあります。

それは、ご本人が「あなたを困らせたい」「いじわるをしたい」と思って言っているわけではない、ということです。

この記事では、なぜこのような症状が起こるのか、
そしてご家族が傷つかずに対応するための具体的な方法をお伝えします。

 

第1章|なぜ、一番がんばって介護している「私」が疑われるの?

実際には盗まれていないのに、
「盗られた」「隠された」と強く信じ込んでしまう状態を、
認知症の症状で「もの盗られ妄想」と呼びます。

財布やお金だけでなく、通帳や保険証、鍵といった
「ご本人にとって大切なもの」が見当たらなくなった際に、
「誰かが持っていったに違いない」と確信してしまう
のが特徴です。

この症状でご家族が最もつらいのは、
たまにしか顔を出さない親戚ではなく、
日々一番身近でお世話をしている「メインの介護者」が標的になりやすいという点です。

なぜ、よりによって一番頑張っている人が疑われるのでしょうか。

理由は大きく2つあります。

  1. 日常的に最も近くにいて、物の置き場所を知っていそうだから
  2. 一番心を許しており、自分の不安や感情をぶつけやすい相手だから

つまり、あなたが疑われるのは「あなたの接し方が悪いから」ではありません。

むしろ、ご本人にとって「一番身近で頼りにしている存在」であることの裏返しなのです。

皮肉なことですが、この事実を知るだけでも、少しだけ心の負担が軽くなるのではないでしょうか。

ご本人の頭の中では、
「見つからない」けれど「自分は動かしていないはず」という事実だけが残っています。

そして、「自分で別の場所に置いたのかも」という可能性に思い至れない結果、
「誰かが盗ったに違いない」という結論にたどり着いてしまうのです。

決して、あなたを困らせるための作り話や嫌がらせではありません。

では、具体的にどのような背景が重なってこの症状が起きるのか、
第2章で詳しく見ていきましょう。

 

第2章|ただの勘違いじゃない。「盗られた」と確信する4つの背景

ご本人の頭の中では、どのようなことが起きているのでしょうか。

単なる「物忘れ」や「勘違い」ではなく、以下の4つの要因が複雑に絡み合っています。

 

① 記憶の抜け落ち

認知症により、「自分で財布をしまった」という行動そのものの記憶がすっぽり抜け落ちてしまいます。

「自分で動かしていないのに、そこにあったはずの物が消えた」
という事実だけが残るため、
「誰かが持っていった」という結論に行き着きやすくなります。

 

② 状況整理の低下(見当識障害・判断力の低下)

認知症の症状である
「見当識障害(いつ・どこで・誰がといった状況を正しく把握できなくなること)」や
「判断力の低下」によって、状況を整理することが難しくなります。

「自分が別の場所に置いたのかもしれない」「あとで出てくるかもしれない」と、
複数の可能性を比較して柔軟に考える力が落ちてしまうため、
「ない=盗まれた」という一直線の思考に結びつきやすくなるのです。

 

③ 満たされないニーズと不安(防衛反応)

最近の認知症ケアでは、こうした症状を「満たされないニーズの表現」と捉えます。

今までできていたことができなくなる恐怖や、
「自分はまだしっかりしている」という自尊心を守るため、
自分を正当化する(=自分が忘れたのではなく、他人が盗んだのだとする)心の防衛反応が働いているのです。

 

④ 環境の変化

模様替え、デイサービスの開始、来客など、
日常のちょっとした変化がご本人には強いストレスや不安となり、
症状を引き起こす引き金になることがあります。

 

第3章|【NG対応】家族がついやってしまいがちな逆効果の対応

疑われたとき、とっさにやってしまいがちですが、実は状況を悪化させてしまう対応があります。

心当たりがあっても自分を責める必要はありません。
「次から少し変えてみよう」と思うためのヒントにしてください。

 

正面から強く否定する

「盗ってない!」「何言ってるの!」と真っ向から否定すると、
ご本人は「嘘をつかれた」「ごまかされた」と感じ、かえって疑いを強めてしまいます。

 

証拠を見せて論破しようとする

「ほら、自分でここにしまったじゃない」と正論で説得しても、本人の記憶にはないため納得できません。

むしろ「バカにされた」と傷ついてしまいます。

 

感情的に怒り返す(「感情の記憶」は残りやすい)

疑われればカッとなって言い返したくなるのは当然です。

しかし、認知症の方は「何を言い合ったか(出来事や理屈)」は忘れてしまっても、
「怖かった」「怒られた」「悲しかった」という「感情の記憶」は鮮明に残りやすいという特徴があります。

そのため、言い合いになると、
「この人は自分を怒鳴る怖い人だ(敵かもしれない)」という警戒心や不安だけが本人の中に蓄積されてしまいます。

その結果、かえって疑いが強まり、妄想をさらに強固にしてしまう悪循環に陥ってしまうのです。

 

一人で抱え込む

「恥ずかしくて誰にも言えない」と家族だけで解決しようとすると、必ず介護者が疲弊します。

共倒れになることが一番の危険です。

 

第4章|今日からできる「安心」を届ける対応の基本

では、具体的にどうすればよいのでしょうか。

大切なのは「事実を証明すること」ではなく、ご本人の「不安を取り除いて安心させること」です。

 

① まずは「正しさ」より「気持ち」を受け止める

疑われたとき、
ご家族としてはつい「私は盗んでいない!」と正論を突きつけて、
誤解を解こう(事実を証明しよう)としてしまうものです。

しかしこの場面では、内容の正しさを証明することよりも、
まずご本人の「安心を取り戻す」ことが先決です。

「あなたが盗まれたと言っていることに同意する」必要はありません。

事実を認めるのではなく、
「お財布がなくなって不安だね」
「大切なものが見当たらないと心配だよね」と、
困っている気持ち(感情)に寄り添う言葉をかけてみてください。

「正しさ」より先に「安心」を届ける。

これだけで、ご本人の興奮がスッと落ち着くことがあります。

 

② 「一緒に探す」姿勢と引き際

「一緒に探してみようか」と味方であることを伝えます。

ただし、長時間探し続けると「やっぱり盗まれたんだ」と確信を深めてしまうため、
「少しお茶を飲んでからまた探そうか」と、
短時間で区切りをつけて気分を切り替えさせるのがコツです。

 

③ 身体で安心を伝える(ユマニチュードの視点)

言葉だけでなく、態度で安心を伝えます。

立ったまま見下ろして話すのではなく、
しゃがんで同じ目の高さで視線を合わせることや、
背中や手に優しく触れながら声をかけるといった非言語のコミュニケーションが、
理屈以上に大きな安心感を与えます。

 

④ 置き場所のシンプル化

財布や鍵などの大切なものは「定位置」を決め、探す範囲を狭くします。

「この箱の中になければ、私が一緒に探すからね」というルールを作ると、ご本人も家族も楽になります。

 

⑤ 便利グッズの活用(最新の対策)

最近では、財布や鍵にスマートトラッカー(AirTagやTileなどの紛失防止タグ)をつけるご家庭が増えています。

スマートフォンから音を鳴らすことができるため、
ご本人が音を頼りに「自分で見つける」ことができます。

家族が探してあげるよりも、「自分で見つけられた」という体験が自尊心を守ることにつながります。

 

第5章|「様子を見る」は危険? 医療や介護にSOSを出す目安

もの盗られ妄想は、生活の工夫で落ち着くこともありますが、時には医療の介入が必要なサインでもあります。

以下の表のような変化が見られたら、一人で抱え込まずに早めに専門家へ相談してください。

 

状況(SOSのサイン) 考えられる原因・リスク 相談先・次のアクション
急に症状が激しくなった 脱水、便秘、感染症、薬の副作用による「せん妄」の疑い かかりつけ医、認知症疾患医療センター
暴言・暴力・昼夜逆転が伴う 脳の機能低下による感情コントロールの限界、BPSDの悪化 かかりつけ医、ケアマネジャー(至急)
家族が眠れない・限界を感じる 介護者の深刻な心身の疲労、虐待や共倒れのリスク ケアマネジャー、地域包括支援センター

相談する際は、
「いつから」「どんな時に(夕方など)」「どんな言葉を言われるか」「介護者がどれくらい疲労しているか」をメモしておくと、スムーズに支援につながります。

 

まとめ|「あなたが倒れないこと」が最大の認知症ケア

もの盗られ妄想は、ご本人からの「不安だ、助けてほしい」というサインです。

しかし、わかっていても、毎日疑われればご家族の心は限界を迎えてしまいます。

泥棒扱いされて悲しいときは、まともに受け止めて傷つきすぎる必要はありません。
「あぁ、今、脳の病気が言わせているんだな」と、心の中で少し距離を置いてみてください。

そして何より大切なのは、
介護をするあなた自身がしっかり休息をとることです。

デイサービスやショートステイを積極的に利用し、親と離れる時間を作ってください。

あなたが心身のゆとりを取り戻し、笑顔で接することができるようになることが、
結果的にご本人の不安を和らげ、症状を落ち着かせる一番の近道になるのです。

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