ヘテロクリニック

介護について

介護を長期で続けるコツは、適度に介護者が休める環境を作ることです。
それと同時に、どこまでだったら自宅でみれるのかを考える、というのも大切です。
まじめな方はどうしても”完璧”という言葉と隣り合わせになります。
けれど、気を抜いたって、怠けたっていいんです。

子育でも同じような状況にはなりますが、最も違うことは、『終わりが見えない』ということです。
子どもの場合、3年で幼稚園に、6年で小学校に入る、と年数が決まっています。
予測・計画が出来るのです。
ずっと一緒に過ごす時間の終わりが見えます。
同時に、子どもは成長していきますので、1つずつできることが増え、徐々に手が離れていきます。
そして、その成長にも喜びが見出せます。

しかし介護の場合は逆です。
どんどん一人では出来なくなり、どんどんお世話する内容が増えていきます。
身内、特に自分の両親が1つずつ何か出来なくなっていく様子を見るのは、誰にだって悲しいことです。
その様子を見つづけることは、少なからず空虚感が残ります。

また、終わりが分かりません。
1カ月なのか、1年なのか、3年・5年・10年なのか・・・終わりが見えません。
そんな状況の中で、 『生きていて欲しい』  『いつ終わるんだろう・・・』この2つの感情が混在してしまうのが、人の感情で、当たり前だと私は思います。

けれど、その「終わり」は死を意味します。
そのため、「いつ終わるんだろう」と、一瞬たりとも思ってしまった自分を、誰もが責めます。
「こんな事を思ってはいけない」「自分はなんて酷い人間なんだ」そう思ってしまった自分を許せず、どんどん心に余裕がなってしまいます。

でもこれは、至ってふつうの感情で、抱いて当たり前だと思います。
例えるなら、介護は終わりの無いマラソンと同じです。
全力疾走をして頑張っているのと同時に、いったいどこまで続ければいいのか…?続けられるのか…?色々な想いが出てきます。

いろいろな考え方はあると思いますが、私は我慢してしんどい顔をして接するよりも、適度にサービスを入れて休憩しながら介護するほうをお勧めします。

逆の立場に立ってみて考えてみてください。
大切な人がつらそうな顔をして、必死に介護をしてくれているのを見て、幸せでいられるでしょうか?
介護者の人が適度に休憩をとることで、残りの時間を自分と笑顔で接してくれていた方がうれしいと思いませんか?

無理をし過ぎないこと。
すべてを自分だけで完璧にしなくてもいいんです。
だって、介護する人も、される側も人間ですから。

上に戻る